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倉庫・えせえっせ Archive

捕獲される

足早に通り過ぎようとしたのに、そいつは私にだけ聴こえるような小声で、
こういったのだ。


「オマエ、A型だろ」


しゅん、と一瞬背を冷ややかなものが這い上がる。
が、そんなシーンに慣れてもいる。
聴こえなかったふり。わからないふり。

しかし、彼が鋭く細い眼をさらに細くして、にやりと笑ったのを背中で感じた。
すうっ、と音もなく大股で近づいてきて、さらに耳元で囁く。


「んで、オマエ、女だろ」

「!!」


……ポーカーフェイスを装うのに苦労した。
なぜわかった? こんなにも気をつけていたのに。
そもそも、あれほど別人のように振る舞う自分に自信を持っていたのに、
この男はいとも簡単にそれを見破ったというのか。


何を言っているのかわからない、という表情をかろうじて作ったが、
成功したかどうかわからない。悔しい。
こうなっては、事は一刻を争う。
彼女がまだ無事かどうか、確かめなくては。


数分後、私は彼女がちゃんとそこにいるのを確認した。
たぶん、この中にいる限り大丈夫だと信じたい。
そこを絶対に出るな、と強く念を押すと、大丈夫、と彼女は微笑んだ。
その笑顔を網膜に焼き付けておく。
もう一度会えるかわからない、私の娘。


再び、車を出す。
今日は曲がり角が多いような気がする。
気のせいか、対向車も多いような?
何かおかしい。
住宅街なのに、こんなに車がすれ違うわけがない。


が、進むしかない。
道に迷ったのか……いや違う。
後ろからも車が来た。袋小路。追いつめられた。
横でハンドルを握る相方の横顔には、焦りはなかったが
このままではふたりとも捕獲されてしまう。

そうだ、携帯電話。
ケーサツの番号を押して、そのままダッシュボードか座席下にでも
突っ込んでおいたら、気づいてもらえるだろうか。
何番だっけ……119? いや救急じゃない、110?
そういえばアメリカは911らしい、などと暢気な連想をしている自分に苦笑する。


私がA型で女だと見破ったその無遠慮な細い眼が、
窓硝子を通して「ここに車を入れろ」と合図している。
バックで入れるしかないが、狭い住宅街では何度も切り返すさねばならない。


「お願い、もう一度切り返して」


と相方に頼む。無表情な横顔が、それに応じた。
そう、ただの時間稼ぎだ。
破滅へのカウントダウン。



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あなたのピアノを聴かせて

心を許して話せる友人がいること。
自分をさりげなく見守ってくれる友人がいること。
そして、時には叱咤してくれる友人がいること。
それだけで、どんな困難も乗り越えていける、そんな気がする。
それは、まだ私が高校生ぐらいだったときのこと。
我が家は私を含めて、弟妹もみなピアノを習っており、その日は
年に一度の発表会を、ちょうど一週間前に控えていた。
3人兄弟の中で、一番ピアノが上手なのは弟。
すでに私を追い越して、得意のテクニックを活かした
シューベルトの即興曲を練習していた。
事件は、突然に起きた。
弟が、指先を切るというケガをしてしまったのである。
ケガは深く、一週間で完治するのはとても無理な状態で、
彼は発表会をあきらめざるを得なかった。
もう小さい子どもではないとはいえ、酷だなあと思ったのを
覚えている。
ひと月ほどが過ぎただろうか? いや、半月ほどだったか?
親友のSが我が家に遊びにやってきた。
発表会の顛末は、彼女もよく知っていて、そのとき急に
弟を呼んできてほしい、という。
「ピアノ、聴かせてほしいわ?」
誰にも発表する機会のなかった即興曲…アンプロンプチュを、
弟は彼女に聴かせるために、一所懸命演奏した。
それから年月が流れ……
その日のことを、急に弟が言い出した。
「あのときは、本当にうれしかったんだ」
彼女のさりげない優しさが、心にしみわたったのだという。
それを聞いて、私も嬉しくなったのを、まるで昨日のことの
ように思い出す。
弟は、再びピアノを奏でることはないけれど、きっと
心の中にいつまでもその温かさが残っているはず。
シューベルトの即興曲を聴くたびに、そのワンシーンが
鮮やかによみがえり、
「ああ、あの人と友人になれてよかった」
と思うのだ。
彼女は、このことを今も覚えているだろうか?
私は忘れていないよ。
自分の結婚式ですら泣かなかった彼女が、私の結婚式で
号泣したこととか、ね。
今は遠くて会うこともかなわないけれど、いつかまたきっと、
いろいろと語り合おう、とお互いに言いつつ、けっこう
月日がたってしまっているのではあるが。


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さくら

桜の花びらが、いっぱい川を流れていました。
「ねえねえ、あの花びら、どこから来るのかなあ」
おかあさんのはしゃいでいるのを見て、わたしも桜がどこから来たのか知りたくなりました。
「ね、花びらを追って見ようよ」
・・・本当は、追うのではなくて上流へ戻っていくのですけれど。
自転車は、おだやかな春の風をうけて、ゆっくりと川の土手を走っていきます。
桜の花びらは、どんどん流れて来ました。
ゆっくりと、くるくる回りながら、あるいは立ち止まって。
中には、ほかの大きな花びらもまじっていたりして。
わたしはおかあさんの背中につかまりながら、
この花びらたちはどこにいくのだろう、と考えていました。
「・・・そうだね、海まで行くかもしれないね」
みんな同じ場所をめざして流れていくのだなあ、と思いました。
桜の花びらの追いかけっこは、とうとう土手の終わりまで続きました。
「ここから先には、行けないね」
「どんな桜が咲いているのか、見たかったね」
「そうだね。花びらがひらひら落ちるところもみたかったな」
また、今度ね、とおかあさんと指切りしました。
桜のふぶきが見てみたいな。
今度はお兄ちゃんも一緒に来よう、そう思うとなんだかわくわくしてきます。
春は、わたしを包んで優しい気持ちにしてくれるから、大好きです。


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うー虫

小学校の頃、よく家族で夕方散歩に出かけた。
あれはいつ頃の季節のことだろうか…よく覚えてはいないが、美しい夕焼けのイメージが強烈なので、夕食を食べたあとでもまだ明るいような、日も長くなり始めたころだろうか。
田舎なので、まだまだ自然がたくさん残っていた。
川沿いの土手を歩くと、ところどころに小さな小さな羽虫が固まってちいさな群れを作っていて、手であおってよけながら歩いたのが懐かしい。
「うーーーーー、っていってみ?虫がついてくるで」
父の言葉に、私たちはこぞって「うー」「うー」とうなり声を上げた。
確かに頭上を虫の群れがついてくるような気がする。
「これは、羽の音や、仲間やと思って、ついてくるんや」
「うー」の合唱をしながら、誰かが言った。
「うー、でついてくるんやから、この虫の名前はうー虫」
大人になっても、ふと虫の群れをみかけると、「あっ、うー虫」と思ってしまうそんな遠い虫の声?の記憶は、家族団らんの記憶でもある。


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つぶあんか、こしあんか

4月4日はアンパンの日らしい。
1875年4月4日、木村屋の初代安兵衛さんが明治天皇に初めてアンパンを献上したのが始まりとか。
この時の品が『桜の花びらの塩漬けを埋め込んだアンパン』。一体、こしあんだったのか、つぶあんだったのか、気になってしょうがない。
我が家はなぜか「こしあん」派。アンパンをもらってきても、つぶあんだと皆が遠慮する。例えば、夫はおしるこが大好物だが、ぜんざいは食べないのだ。
友人知人に聞く限り、どちらかといえば世間は「つぶあん派」の方が多いような気もするが、特に私の出身地関西では、圧倒的につぶあんが人気である。
ちなみに「アンパンマン」の顔の中味は何あんかご存知だろうか?正解は、「つぶあん」。原作者やなせたかしさんによれば、つぶつぶが脳細胞という意味らしい。
確かに、上品なこしあんに対して、つぶあんの方が力強いのかもしれない……とちょっと納得してしまった。
だが、いずれにせよ「こしあん」派を曲げる気はこれっぽっちもない。
あんはやっぱり「こしあん」だーっ!


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紫陽花と傘

紫陽花の花が美しい季節になった。
しとしとと降る雨の中を、エリカの小さなピンクの傘を腕にぶらぶらさせながら、幼稚園のお迎えに出る。幼稚園バスが停まる小さな公園にも、濃いピンクの紫陽花がひっそりと雨に濡れていた。
でも、水滴にますます美しさを放つ紫陽花とはうらはらに、わたしの心はうんと雨に打たれ、くすんでいた。
やはり、わたしは間違っていたのだろうか?
昨夜のことが、通り雨のように頭の中をよぎる。
夫と喧嘩をするのは初めてではないが、久しぶりだった。
毎日まいにち、仕事、仕事、仕事。だが、それが夫の務めなら仕方ない、と今までは我慢してきた。家を守って待つ妻を自分なりにつとめてきたつもりだ。
だが、昼間エリカが転んで額に大きな傷を作り、帰ってきた夫がそれを見たとたんに、いきなり彼は激昂したのだ。
「一体、何やってるんだ!母親なんだろう、お前は!」
顔に傷なんぞこさえて、残ったらどうするんだ、とぶつぶつ言っている夫に、何かがぷちん、とはじけた。
「何いってるのよ!私は子どものお世話係じゃないし、そういうあなただって父親じゃないの!」
お互い声を荒げたのは何日ぶりだったろう?
はっ、として気まずい空気が流れ、どちらからともなくその場を立ち去った。
その後、早朝に出勤した夫とは顔を合わせていない。
エンジンの音がして、バスから元気よくエリカが降りてきた。
「おかえり!」
「ただいま!」
傘があって、今日は抱きしめることはできないけれど、この瞬間がわたしは好きだ。額に大きく貼られた絆創膏が痛々しかったが、エリカの笑顔がそれを帳消しにしている。
帰ろうと歩きかけると、ついてくるはずのピンクの傘が、そこからじいっとしたまま動かない。
「エリカ?」
見るとエリカは、公園のピンクの紫陽花に、そっと傘をさしかけていた。
そして、ふり向きざまにわたしのけげんそうな顔を見て、にっこり笑う。
「だって、紫陽花さんが、雨にぬれて、かわいそうなんだもん」
そうか。わたしに欠けていたのは、あのひとを思いやる心だった。
彼の心にそっと傘をさしかけてあげることが出来たら…そうしたら、彼はその傘にわたしをいれてくれるだろうか?
「おかあさん、どうしたの?」
「ううん…なんでもない!さあ、帰っておやつ食べよ!」
「わーい!!」
エリカが長靴をかぽんかぽん言わせながらジャンプする。
ありがとう。わたしの心にも傘をさしかけてくれて。
「あっ、おかあさん、雨、あがったみたいだよ」
曇り空の切れ目にちょっぴりのぞいた青空が、少しぼやけて見えた。


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患者の家族

【小渕首相脳梗塞で死去(2000年)――患者の家族】
(お題:「万華鏡 私たちの時代」)
まだ記憶も生々しいが、あれは衝撃的だった。
当時わたしは、同じ脳の病に倒れた家族のことを案じて、傷心の日々を送っていたところだったのだ。今まで元気だった人が突然その姿を変えてしまうことを受け止めることができずに、私の心はシャッターをおろし、それゆえに涙が流れることもなかった。
マスコミが騒ぎ立て、
「脳梗塞とはいったいなんだ」
「防ぐことはできないのか」
「脳ドッグを受けよう」
と連日のように特集されるのが苦しい。
もちろんそういった知識が広まれば、あらかじめ予防することもいくらかは可能なのだから、常識的に言えばそれはいいことだ。しかし、病の予兆に気づいてやれなかったことを、たぶん一生責め続ける家族の気持ちは?
以前病院に働いていて、ケースワーカーなどの仕事をしたこともあったが、患者の家族になって初めて気づいたことの、なんと多いことか。
「お見舞い」はしばしば、見舞ってそれで気が済む人の自己満足の裏返しであること。
家族に病状を尋ねるのは、何度も同じ説明を家族にさせ、それはとてもつらいのだということ。
一番いいのは、そっとしておいてほしいということ。
倒れた家族には申し訳ないけれど、こんな当たり前のことに気づかずにいたわたしたちに、それを教えてくれているのかなあ、と思えるようになった。もう直接話すことはないと思うけれど、彼はそこにいて、逆に私たち家族を見守っていてくれるのかもしれない。
そう、もう涙を流してもいいんだよ、と。
こうして、小渕さんがニュースで取り上げられると、ふっとあの日々を思い出す。
哀しみはおだやかに過去の想い出になっていき、あるいは埋もれていくのかもしれない。
だが、たとえ色が変わっても、決して色あせることはないのだ。


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それでも言ってみたかった

「それでも言ってみたかった」(お題:こんなうその物語)
あまりにもしつこい、新聞の勧誘や宗教、保険の誘いや子どもの塾や教材の勧誘の電話。
いわゆる「断れない」性格ではないので(かなり冷たいと思う)、ひっかかったりすることはほとんど皆無と言っていい。
「今、手が放せませんので」
これでたいていが撃退出来るが、これは
「今、(インターホンの受話器から)手が放せませんので」
であるから、まったくの嘘ではない。
しかし、以前かかってきた電話はあまりにもしつこすぎた。
何度忙しいと電話を切っても、忙しい時刻に限って
「○○くんのお母さん?」
「今の教育制度についてどのようにお考えですか?」
とやられるので、ある日とうとう言ってしまった。
「ウチの子、天才ですから、塾は必要ないので!!」
これですっきり撃退できたはずなのに、なぜこんなに心が動揺するのだろう?
決まっている。それは、嘘、だからなのだ。
…なぜこんなことで悔しい思いをせねばならんのだ!!(怒)

詰襟

その日、私の心臓は、ドキドキして胸を飛び出してしまいそうだった。
「やっぱりダメかも…」
という私の背中を押して、友人が彼を呼び出してくれた。
怪訝そうに彼が「なに?」と近づいてくる。ああ、神様!
「…ね、詰襟、貸してほしいねんけど。いい?」
「ええよ」
あっさりとOKしてくれた彼に、どんな顔で「ありがとう」と言ったのかも覚えていない。そのまま、逃げるように校舎に飛び込み、運動会真っ最中で誰もいない教室に忍び込んで、彼のネームの入った詰襟を抱き締めた。
中学の頃、運動会の時には好きな子の詰襟を羽織る、というのが流行っていた。まさか自分がそれをやろうとは…一方通行の片想いだというのに。
グラウンドに出ると、他の友人が目を丸くして、
「Yちゃん!それ、誰の?」
と聞いてきたり、他の男子が
「ヒューヒュー」
とはやし立てたり。
胸のネームを隠して、曖昧に笑いながらもちょっとだけ誇らしかった、単純な私。後にも先にも詰襟を着たのはあのときだけだ。
私の恋は実らなかったけれど、詰襟のヒンヤリとした感触がなぜか懐かしい。


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白菜の漬物

主人の実家から、大きな白菜をもらった。
「この白菜で、あの漬物が漬けられるかなあ…。でも、なかなかヒマがとれないなあ」
そう思いつつ、書きとめた漬物のレシピを手にとって見たりしていたのだ。
それが、こんな形でもう一度見つめなおすことになるなんて。
祖母が亡くなって、まだ3ヶ月しかたっていないのに、またもや訃報が飛び込んできた。
叔母である。もともと身体は丈夫でなく入退院を繰り返していたのだが、まさかこれほど早く逝ってしまうとは思ってもみず、今も呆然とするばかりだ。
祖母の葬式の時に数年ぶりに会った叔母は、病気のせいか白髪が増え、急に小さくなってしまっていて、そのことの方が胸を詰まらせた。すでに骨がもろく、転ぶと即骨折してしまうから、みんなが叔母を気遣い、喪主の妻という重責をなんとかしのぐことが出来て、皆ほっとしたものだった。
滞在したほんのわずかの間に、めずらしくベッドから抜け出して台所に現れた叔母を、妹と2人で呼びとめて、座ってもらった。
「叔母さん、おばあちゃんの漬物の漬け方、教えてよ」
亡くなった祖母は、北朝鮮から苦労してひきあげてきた。たぶん現地で覚えて自分流に改良を加えた「白菜の朝鮮漬」は、私達親族が集うお正月料理の席での花形だった。祖母が漬けられなくなったかわりに、それを嫁である叔母が引き継いだ。その漬物の漬け方をどうしても教えてほしかったのである。
叔母は、先ほどまでとは打って変わったように、元気に見えた。
「じゃあ、メモしてな。白菜を最初、ざっと洗ってかわかすんやに」
「うんうん、それから…?」
「白菜の間にねぎやしょうが、にんじん、大根、細く切ったこんぶを挟みこんでいくんよ。ひと月ぐらい漬け込んだら、すっぱくなってちょうど食べごろなんやに…」
そうして、私や妹の顔をじっと見つめて、さらっと言った。
「味を、伝えていってください」
そうだね、延々おばあちゃんの味を伝えていかないとね、とそのときは笑ったのだ。
味を伝えていくことは、たぶん命を伝えていくことと似ている。祖母の味は叔母が受け継ぎ、それはまた私や妹の手を借りて生き続けるのだろう。
やはり今年はがんばって、この白菜漬けを作らなければ!と思いを馳せつつ、あの時の叔母の表情が忘れられない。

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