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患者の家族

【小渕首相脳梗塞で死去(2000年)――患者の家族】
(お題:「万華鏡 私たちの時代」)
まだ記憶も生々しいが、あれは衝撃的だった。
当時わたしは、同じ脳の病に倒れた家族のことを案じて、傷心の日々を送っていたところだったのだ。今まで元気だった人が突然その姿を変えてしまうことを受け止めることができずに、私の心はシャッターをおろし、それゆえに涙が流れることもなかった。
マスコミが騒ぎ立て、
「脳梗塞とはいったいなんだ」
「防ぐことはできないのか」
「脳ドッグを受けよう」
と連日のように特集されるのが苦しい。
もちろんそういった知識が広まれば、あらかじめ予防することもいくらかは可能なのだから、常識的に言えばそれはいいことだ。しかし、病の予兆に気づいてやれなかったことを、たぶん一生責め続ける家族の気持ちは?
以前病院に働いていて、ケースワーカーなどの仕事をしたこともあったが、患者の家族になって初めて気づいたことの、なんと多いことか。
「お見舞い」はしばしば、見舞ってそれで気が済む人の自己満足の裏返しであること。
家族に病状を尋ねるのは、何度も同じ説明を家族にさせ、それはとてもつらいのだということ。
一番いいのは、そっとしておいてほしいということ。
倒れた家族には申し訳ないけれど、こんな当たり前のことに気づかずにいたわたしたちに、それを教えてくれているのかなあ、と思えるようになった。もう直接話すことはないと思うけれど、彼はそこにいて、逆に私たち家族を見守っていてくれるのかもしれない。
そう、もう涙を流してもいいんだよ、と。
こうして、小渕さんがニュースで取り上げられると、ふっとあの日々を思い出す。
哀しみはおだやかに過去の想い出になっていき、あるいは埋もれていくのかもしれない。
だが、たとえ色が変わっても、決して色あせることはないのだ。


過去に某所で書いた「お題もの」を、「えせえっせ」で少しずつこちらに移しております。
ほこりっぽいのはお許しくださいまし。

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